「頭が透けていて、中身が見えている……」ネット上で拡散された一枚の写真に、衝撃を受けた方も多いのではないでしょうか。その魚の名はデメニギス(学名:Macropinna microstoma)。深海600〜800メートルに生息する、地球上で最も奇妙な姿をした生物の一つです。
しかし、デメニギスの透明な頭は、単なる「奇妙な飾り」ではありません。そこには、光の届かない過酷な深海で生き抜くための、驚くべき進化のロジックが隠されています。この記事では、深海生物の研究に長年携わってきた専門家の視点から、デメニギスの頭の構造、緑色の眼の役割、そして最新の研究で明らかになった驚きの生態について徹底解説します。
[著者情報]
海野 亮介(うみの りょうすけ)
深海生物学者。海洋研究機関にて15年以上、深海魚の形態進化を研究。無人探査機(ROV)を用いた深海調査に数多く参加し、デメニギスを含む希少生物の観察記録を持つ。
デメニギスの「透明なドーム」の正体:脳が見えているわけではない?
デメニギスの写真を見て、多くの人が「脳が丸見えだ」と勘違いしてしまいます。しかし、あの透明な部分は脳ではなく、液体で満たされた軟らかい「シールド(保護ドーム)」です。
デメニギスの頭部は、非常に繊細な透明の膜で覆われており、その内部は透明な液体で満たされています。1939年に初めて発見された際は、網に引き揚げられる衝撃でこの膜が破れてしまっていたため、長らく「不透明な頭を持つ魚」だと思われていました。2004年にモンタレー湾水族館研究所(MBARI)が無人探査機で生きた姿を撮影したことで、ようやくこの透明なドームの真の姿が明らかになったのです。
✍️ 専門家の経験からの一言アドバイス
【結論】: デメニギスの透明なドームは、深海の高圧環境に耐えるためではなく、内部にある「特殊な眼」を保護するために進化したものです。
なぜなら、デメニギスの眼は非常に複雑な構造をしており、むき出しの状態では深海の浮遊物や外敵から守ることができないからです。このドームは、いわば戦闘機のコックピットのような役割を果たしています。
眼はどこ?「鼻」に見える部分と「緑の球体」の驚くべき関係

デメニギスの顔を正面から見ると、口の上に2つの穴が見えます。多くの人はこれを「眼」だと思ってしまいますが、実はこれは嗅覚器官(鼻に相当するもの)です。
本当の眼は、透明なドームの中に浮かんでいる「2つの緑色の球体」です。この眼は「管状眼(かんじょうがん)」と呼ばれ、わずかな光を効率よく捉えるために望遠鏡のような形をしています。
さらに、最新の研究で判明したデメニギスの最大の独自性は、「眼が回転する」という点にあります。
- 通常時: 眼は真上を向いており、上空を泳ぐ獲物の影を探しています。
- 捕食時: 獲物を見つけると、眼を前方に回転させ、自分の口元を確認しながら正確に獲物を捉えます。
深海の泥棒?クダクラゲから獲物を奪う独自の生存戦略
デメニギスが何を食べているのかは長年の謎でしたが、近年の調査でクダクラゲ(管水母)という生物との深い関係が見えてきました。
クダクラゲは、長い触手を網のように広げて小さなプランクトンを捕まえる深海生物です。デメニギスは、このクダクラゲの触手の間に潜り込み、クラゲが捕まえた獲物を横取りする「泥棒」のような生活を送っていると考えられています。
ここで、あの「透明なドーム」が再び重要な役割を果たします。クダクラゲの触手には強力な毒針(刺胞)がありますが、デメニギスは透明なシールドで眼を保護しているため、毒針を恐れずに触手の間を泳ぎ回ることができるのです。
デメニギスと一般的な深海魚の「眼」の比較
| 比較項目 | 一般的な深海魚 | デメニギス |
|---|---|---|
| 眼の形状 | 球形(横向きが多い) | 管状(望遠鏡型) |
| 視野の方向 | 固定されている | 真上から前方へ回転可能 |
| 保護構造 | むき出し、または薄い膜 | 液体を満たした透明ドーム |
| 生存戦略 | 獲物を追いかける | 獲物の影を待ち伏せ・横取り |
デメニギスに関するよくある質問(FAQ)
Q1. デメニギスを水族館で見ることはできますか?
A1. 残念ながら、現在日本の水族館で生きたデメニギスを見ることはできません。デメニギスは非常に繊細な生物であり、水圧や温度の変化に弱いため、生きたまま地上へ運ぶことが極めて困難だからです。標本であれば、稀に深海生物展などで展示されることがあります。
Q2. あの緑色の眼は、なぜ緑色なのですか?
A2. 眼に含まれる黄色のフィルターが、深海に届くわずかな青い光をカットし、獲物(発光生物など)が放つ光とのコントラストを強める役割を果たしていると考えられています。これにより、暗闇の中でも獲物の姿をくっきりと浮き上がらせることができるのです。
まとめ:デメニギスの姿は「究極の効率化」の結晶
デメニギスの透明な頭と回転する眼は、決して偶然の産物ではありません。
- 透明なドームは、毒針から眼を守る「防護壁」
- 管状の眼は、真上の獲物を探す「高性能望遠鏡」
- 眼の回転は、獲物を確実に仕留めるための「精密誘導装置」
光もエサも乏しい深海という極限環境において、デメニギスは「最小限の動きで、最大限の成果を得る」ために、この姿へと進化を遂げました。次にデメニギスの写真を見る時は、その奇妙さの裏にある、生命のたくましい知恵を感じてみてください。
[参考文献リスト]
- MBARI (Monterey Bay Aquarium Research Institute), Barreleye Fish with Transparent Head
- Bruce H. Robison and Kim R. Reisenbichler, “Macropinna microstoma and the Paradox of Its Tubular Eyes” (2008)
- 国立研究開発法人海洋研究開発機構(JAMSTEC), [深海生物図鑑]
[著者プロフィール]
海野 亮介
深海生物の進化と生態を追う研究者。ROV(無人探査機)のカメラ越しにデメニギスと対面した際の感動を伝えるべく、執筆活動も行う。専門知識を子供から大人まで楽しく伝える講演活動が人気。


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