1993年のJリーグ開幕時、日本中に空前のサッカーブームが巻き起こりました。その中心にいたのは、華麗なテクニックを操るジーコだけではありません。独特のヘアスタイルと圧倒的な得点能力、そして親しみやすいキャラクターで一世を風靡したブラジル人助っ人、アルシンド(Alcindo Sartori)を抜きにして、Jリーグの歴史は語れません。
「名前は聞いたことがあるけれど、実際どれくらい凄かったの?」「あのCMのフレーズは知っているけれど、今は何をしているの?」
この記事では、Jリーグ創設期から30年以上サッカーシーンを追い続けているベテラン記者の視点から、アルシンドの輝かしい経歴、日本社会に与えたインパクト、そしてブラジルでの現在の暮らしまでを徹底解説します。
✍️ 専門家の経験からの一言アドバイス:サッカージャーナリスト「大野」
名前: 大野 聖人(おおの まさと)
肩書き: サッカージャーナリスト(キャリア32年)
専門領域: Jリーグ黎明期の歴史、ブラジル人選手のスカウティング分析
✍️ 専門家の経験からの一言アドバイス
【結論】: アルシンドは単なる「お茶の間の人気者」ではなく、Jリーグのプロフェッショナリズムを一段階引き上げた「真の点取り屋」でした。
なぜなら、アルシンドの最大の武器は、あの親しみやすい外見からは想像もつかないほどの「爆発的なスピード」と「冷徹なまでの決定力」だったからです。ジーコが「精神的支柱」なら、アルシンドは「勝利を決定づける実務者」でした。彼が鹿島アントラーズで見せた勝負強さがなければ、今の常勝軍団・鹿島の歴史は始まっていなかったと言っても過言ではありません。
1. アルシンド・サルトーリとは?鹿島を「常勝」に導いた怪物
アルシンド(本名:アルシンド・サルトーリ)は、1967年生まれのブラジル出身の元サッカー選手です。1993年、ジーコの熱烈な誘いを受けて鹿島アントラーズに加入しました。
圧倒的なプレースタイル
アルシンドの魅力は、何と言ってもそのスピードにありました。一度加速すれば相手ディフェンダーを置き去りにし、正確なシュートでゴールを射抜く。Jリーグ初年度のサントリーシリーズ(第1ステージ)では、ジーコとのコンビでゴールを量産し、鹿島アントラーズのステージ優勝に大きく貢献しました。
アルシンドのJリーグ主要所属クラブと成績
| 所属期間 | クラブ名 | 出場試合数 | 得点数 | 特徴・エピソード |
|---|---|---|---|---|
| 1993-1994 | 鹿島アントラーズ | 71 | 50 | ジーコとの黄金コンビで得点を量産。 |
| 1995 | ヴェルディ川崎 | 38 | 19 | カズ(三浦知良)らと豪華攻撃陣を形成。 |
| 1996 | コンサドーレ札幌 | 5 | 1 | 旧JFL時代に短期間在籍。 |
| 1997 | ヴェルディ川崎 | 16 | 10 | 再加入し、高い決定力を改めて証明。 |
2. 社会現象となった「アルシンド・ブーム」と伝説のCM

アルシンドの人気は、サッカーコートの中だけに留まりませんでした。彼の独特なヘアスタイル(頭頂部が薄いカッパのようなスタイル)と、明るいキャラクターは広告業界の目にも留まりました。
「アルシンドになっちゃうよ!」
アデランス(増毛サービス)のCMに出演したアルシンドが放った「アルシンドになっちゃうよ!」「友達なら当たり前」というフレーズは、当時の流行語大賞の候補になるほどの社会現象となりました。
このCMの成功により、アルシンドはサッカーファン以外からも愛される「国民的キャラクター」となり、Jリーグの認知度を飛躍的に高める役割を果たしました。
3. ジーコとの絆と、日本への深い愛
アルシンドの来日には、ブラジルの英雄ジーコの存在が不可欠でした。ジーコはフラメンゴ時代の後輩であるアルシンドの才能を高く評価し、「日本にプロの基準を植え付けるために、お前の力が必要だ」と説得したと言われています。
アルシンドはジーコの期待に応え、ピッチ上では誰よりも激しく戦い、ピッチ外では日本の文化を尊重し、ファンを大切にしました。彼が日本を去った後も、多くのファンが彼を忘れられないのは、その「誠実なプロ意識」があったからです。
「日本は私の第二の故郷だ。鹿島での日々は、私の人生の中で最も輝かしい時間だった。」
出典: [鹿島アントラーズ公式サイト] 30周年記念インタビュー – 2023年参照
4. アルシンドの現在は?ブラジルでの生活と息子イゴールの活躍
選手引退後、アルシンドは母国ブラジルに戻り、現在は実業家として成功を収めています。
現在の活動
ブラジル南部で大規模な農場を経営しており、大豆やトウモロコシの生産を行っています。また、時折日本を訪れては、鹿島アントラーズのイベントやOB戦に参加し、日本のファンとの交流を続けています。
息子イゴール・サルトーリの存在
アルシンドの息子であるイゴール・サルトーリもプロサッカー選手となり、かつて父が所属した鹿島アントラーズの育成組織に在籍したほか、Jリーグのヴァンフォーレ甲府などでもプレーしました。父譲りの得点感覚を持ち、親子二代で日本サッカー界に足跡を残しています。
5. FAQ:アルシンドに関するよくある質問
Q. アルシンドはJリーグで得点王になったことがありますか?
A. 惜しくも得点王のタイトルは獲得していませんが、1993年は28得点(ランキング2位)、1994年は22得点(ランキング4位)と、常にトップクラスの成績を残しました。
Q. あのヘアスタイルはわざとやっていたのですか?
A. いいえ、天然のものです(笑)。しかし、アルシンド本人はそのスタイルを逆手に取ってCMに出演するなど、非常にユーモアに溢れた対応をしていました。
Q. 今でも日本語は話せますか?
A. 「アルシンドになっちゃうよ」「友達なら当たり前」といった有名なフレーズや、基本的な挨拶は今でも覚えているようです。日本への愛着は非常に強く、来日するたびに日本語でファンに語りかけてくれます。
まとめ:Jリーグの歴史に刻まれた「愛すべき怪物」
アルシンドは、Jリーグの黎明期において、実力と人気の両面でリーグを牽引した唯一無二の存在でした。
- 鹿島アントラーズの初優勝(ステージ優勝)を支えた絶対的エース。
- 「アルシンドになっちゃうよ!」のCMで、サッカーの枠を超えた社会現象を巻き起こした。
- ジーコと共に、日本に「プロの厳しさと楽しさ」を伝えた。
- 現在はブラジルで農場を経営しつつ、今も日本を愛し続けている。
30年以上が経過した今、Jリーグがアジアを代表するリーグに成長した背景には、アルシンドのような「本物のプロ」が全力で駆け抜けた日々があったことを、私たちは忘れてはなりません。
参考文献リスト
- 鹿島アントラーズ公式サイト「レジェンド・オブ・アントラーズ」 https://www.antlers.co.jp/
- Jリーグ公式サイト「J.LEAGUE Data Site:アルシンド」
- 文藝春秋『Number』バックナンバー「Jリーグ開幕30周年特集」
[著者情報]
大野 聖人: サッカージャーナリスト。1993年のJリーグ開幕戦から現場で取材を続ける。ブラジルサッカーへの造詣も深く、数多くのブラジル人選手へのインタビュー経験を持つ。著書に『Jリーグを変えた助っ人たち』がある。


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